# 祖母のレシピには、分量の代わりに名前が書いてある

祖母の台所の引き出しから出てきた帳面には、どの料理にも分量が書いていなかった。

「醤油　ミツオさん」「砂糖　カヨの来る日は多め」「塩　先生には言わない」。

大さじも小さじも、グラムもない。材料の横に並んでいるのは、人の名前ばかりだった。祖母が亡くなって四十九日が過ぎた秋、売りに出す前の家を片づけに来た私は、油のしみた帳面を手にしたまま、しばらく流しの前に立っていた。

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祖母は町でいちばん料理のうまい人、ということになっていた。少なくとも、この町の人たちはそう言った。葬式の日、受付に立っていた私に、知らない人が次々に頭を下げて「お煮しめ、もう食べられないのねえ」と言った。悲しみの言い方として、それはいちばん具体的だった。

だから私は、帳面を見つけたとき、まず煮しめのページを開いた。

> 煮しめ
> 里芋、にんじん、ごぼう、こんにゃく、しいたけ、鶏
> だし　たっぷり
> 醤油　ミツオさん
> 砂糖　カヨの来る日は多め
> みりん　いつもの
> 火を止めてから、しばらく置く。急がない

カヨは私の母の名前だ。母は甘いものが好きで、実家に帰るたびに「おばあちゃんの煮しめは甘くていい」と言っていた。そこまでは分かる。分からないのは、ミツオさんだった。

その夜、私は帳面を見ながら煮しめを作ってみた。醤油は、自分の感覚で「このくらい」と思う量を入れた。砂糖は、母が来るわけではないので控えめにした。みりんの「いつもの」は、流しの下に残っていた瓶の減り具合から想像するしかなかった。火を止めてから、言われたとおりに、しばらく置いた。

できあがったものは、食べられないことはなかった。でも、あの煮しめではなかった。どこがどう違うのか言えないまま、私は鍋の半分を冷蔵庫に入れた。

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翌朝、ごみの出し方を聞きに隣の家へ行くと、玄関先で植木に水をやっていた男の人が「ああ、お孫さん」と言った。七十代の終わりくらいだろうか。日に焼けた首に、タオルを巻いていた。

燃えないごみの曜日を教わったあと、私は思いきって聞いてみた。

「このあたりに、ミツオさんという方はいますか」

男の人は、ホースの水を止めた。

「おれだよ」

ミツオさんは、十年ほど前に血圧で倒れたのだそうだ。退院してから、医者に塩を控えるように言われた。奥さんはもう亡くなっていて、一人で暮らしていた。

「そしたら、あんたのおばあさんがね、毎週、煮しめを持ってきてくれるようになった。うちのは薄いからね、ってそれだけ言って。おれは、薄いと思ったことは一度もなかったよ」

私は家に戻って、冷蔵庫の鍋から煮しめを小皿に取り、ミツオさんのところへ持っていった。ミツオさんは玄関に腰かけて、里芋をひとつ食べた。それから、困ったように笑った。

「うまいよ。でも、これはおれには濃いな」

その日の夕方、私はもう一度、煮しめを作った。醤油を、昨日の半分より少し多いくらいにした。ミツオさんの顔を思い出しながら、入れては味を見て、入れては味を見た。

火を止めて、しばらく置いて、味を見た。

あの煮しめだった。

葬式の日に、知らない人たちが「もう食べられない」と言ったあの味は、ひとりの人の血圧に合わせた味だったのだ。近所の人はみんな、同じ鍋から分けてもらっていた。祖母は町じゅうの煮しめを、ミツオさんの体が受けつけられる、ぎりぎりのおいしさに合わせていた。

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母に電話をしたのは、その夜だった。帳面のことを話し、「カヨの来る日は多め」と書いてあったと伝えると、母はしばらく黙った。

「おばあちゃん、私が甘いのが好きだと思ってたのね」

「違うの？」

「違わないけど」と母は言った。「私が甘いのを好きになったのは、おばあちゃんの煮しめが甘かったからよ。子どものころから、ずっとあの味だったから」

祖母は娘の好みに合わせて砂糖を足し、娘はその味で育って甘いものを好きになった。どちらが先なのか、もう誰にも分からない。電話の向こうで、母は鼻をすすっていた。

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そこから私は、帳面を読むというより、帳面に出てくる人を探すようになった。

「塩　先生には言わない」の先生は、通りの向こうで小さな医院をやっていた人で、もう引退していた。先生は自分の患者には塩を控えるように言いながら、祖母の漬物だけはしょっぱいのを好んだ。

「内緒にしてくれって頼んだのは、私のほうです」と、先生は笑った。「あの人は、律儀に帳面にまで書いていたんですね」

「酢　ハルくん、むせるので少し」は、角の家の子だった。ちらし寿司の酢が強いと、むせて泣いてしまう子だったらしい。今は高校生になっていて、自転車で通学している背の高い男の子が、ハルくんだった。むせたことは覚えていなかったけれど、祖母のちらし寿司のことは覚えていた。

「卵がいっぱいのってるやつ。あれ、好きでした」

帳面には、そのとおりに書いてあった。「卵　ハルくんの分は、上に多め」。

調べていくうちに、帳面に出てくる名前は三十を超えた。中には、もう誰も覚えていない名前もあった。「からし　タケちゃん、抜き」のタケちゃんが誰なのか、町の人に聞いても分からなかった。何十年も前に引っ越していった誰かかもしれないし、祖母が若いころに一緒にいた誰かかもしれない。からしを抜いてもらっていた人は、祖母の帳面の中にだけ残っていた。

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祖母の帳面は、レシピ帳というより、名簿に近かった。誰が何を食べられないか、誰が何を好きか、誰にどれくらい合わせるか。料理の分量というのは、もともとそういうものなのかもしれない。大さじ一杯は、そこにいない誰かの舌と体の代わりに置かれた、仮の数字にすぎない。

私は、自分のために料理をするとき、分量を計らない。適当だから、と人には言ってきたけれど、本当は、計る理由がなかったのだと思う。合わせる相手がいない。食べるのは自分だけで、自分の好みはいつも、少しぼんやりしていた。

帳面の最後のほうに、私の名前を見つけたのは、片づけの最後の日だった。

> 卵焼き
> 卵　三つ
> 砂糖　さきは甘いのが好き
> 塩　ひとつまみ
> （さきはもう大人なので、少し減らすこと。でも、疲れている顔のときは元のまま）

日付はなかった。私が最後にこの家に来たのは、二年前の正月だった。そのとき祖母が卵焼きを作ってくれたかどうか、私は覚えていない。きっと作ってくれたのだと思う。そして私は、きっと疲れた顔をしていたのだと思う。仕事を辞めるかどうか、ずっと迷っていた冬だった。

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その夜、祖母の台所で、卵を三つ割った。

砂糖をどれだけ入れればいいのかは、もう誰にも聞けない。今の私は、甘いのが好きなのだろうか。大人だから減らすべきなのか、疲れているから元のままでいいのか。自分の顔は、自分では見えない。

しばらく考えて、私は砂糖を多めに入れた。祖母なら、たぶんこっちにしただろうと思った。

焼きあがった卵焼きは、少し焦げていた。甘くて、思っていたより甘くて、私は流しの前に立ったまま、それを全部食べた。

食べ終わってから、帳面の空いているページを開き、祖母のボールペンで書いた。

> 卵焼き
> 卵　三つ
> 砂糖　さき。疲れている日は、元のまま

自分の名前を、材料の横に書いたのは初めてだった。書いてみると、それは思っていたより、ちゃんとした分量に見えた。

帳面は持って帰ることにした。来月から、月に一度、煮しめを作って、この町に届けに来る。ミツオさんに、そう約束したからだ。醤油は、ミツオさん。それから、ほかの名前も少しずつ覚えていこうと思う。空いているページは、まだたくさんある。
